2007年11月11日
江戸時代の江戸城
江戸城いろんな歴史が生まれた所です。
出来ることなら一度見てみたいです。
徳川氏が入城した当初は、質素な城であり、太田道灌築城時のままの姿を残した比較的小規模な城であった。しかし、慶長8年(1603年)に徳川家康が江戸開府以降、江戸城の拡張に着手。本丸・二の丸・三の丸(現在の皇居東御苑)に加え、西の丸(皇居)、西の丸下(皇居外苑)、吹上(皇居吹上御苑)、北の丸(北の丸公園)の周囲16kmにおよぶ区画を本城とし、現在の千代田区と港区・新宿区の境に一部が残る外堀と、駿河台を掘削して造った神田川とを総構えとする大城郭に発展した。工事には全国の大名が動員された。完成を見た時期は、家康の孫・徳川家光の代の1636年である。以後、200年以上に渡り江戸幕府の中枢として機能し、様々な政治的事件の舞台となった。
明治以後
1868年4月、江戸城は明治新政府軍に明け渡され、10月に東京城(とうけいじょう)に改名された。翌1869年、東京奠都により皇城となる。1873年、皇居に使用中の西の丸御殿が焼失。1888年には明治宮殿の完成によって宮城(きゅうじょう)と称された後、1948年に皇居と改称された。
1923年、関東大震災で城に残存していた建物遺構は大きな被害を受け、和田倉門は復旧されなかった。残っていた門は、上の櫓部分を解体して改修された。1945年、空襲で大手門が焼失したが、1967年に復元された。
1964年、北の丸の清水門・田安門の上部が復元された。1968年二の丸跡を小堀遠州の回遊式庭園に復元、この際諏訪の茶屋が吹上御苑より移築される。現在、桜田門、田安門、清水門(以上は、日本の重要文化財に指定されている)が遺構として現存している。
また、関東大震災で倒壊後、復元された富士見櫓、伏見櫓・多聞櫓、桜田巽櫓や、同心番所、百人番所、大番所なども、重要文化財などには指定されていないが現存する。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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